知念 夏樹 プロフィール
本名 知念 夏樹(ちねん なつき)
生年月日 1978年7月10日
同じ誕生日の著名人は松島トモ子、チバユウスケ、小泉孝太郎、前田敦子など
出身地 横浜
苗字が沖縄の苗字の為、「知念さんて沖縄ですか?」と今までの人生で
12,645回くらい聞かれているが、その度「いえ、横浜です。」と答えている。
父親の親が沖縄で返還前に横浜に移住しているため、両親とも幼少期より横浜で暮らしている。
その為、知念夏樹も典型的なプライドが高い横浜人。決して、出身地を神奈川とは言わない。
幼少期
少年野球に打ち込み、将来はプロ野球選手になるものと思っていた。
実際に少年野球時代は誰も信じないが、かなりすごかった。
初めて、柵越えのホームランを打ったのは小学校4年生の時。
小学校5年、6年では数えきれないほど、柵越えのホームランを連発し
少年野球で空振りをした記憶がない。
中学生になると、野球部に入るが、素行が悪く中2でロックンロールに
目覚めた事から休部。卒業まで復帰はしなかった。
その頃からギターを始め、文化祭ではギターを担当していた。
高校に進学した後、ライブハウスに出入りするようになり
「俺もライブハウスで歌いたい!」と熱くなり高校を中退。
そして、16歳から弾き語りスタイルでライブハウスで活動を始める。
16歳の時に、町田のプレイハウスで怪しい業界人から
「素晴らしい才能だ。10年後が楽しみだ!」と言われるが
あれから30年が経とうとしている。
20歳でバンドを組み、活動を始める。
いろいろある
23歳で再びソロ活動を始める
いろいろある
24歳で二死満塁を結成
いろいろある
28歳で二死満塁活動休止とともに、音楽活動を休止
本当にいろいろある
30歳でサラリーマンとして、東京に転勤
一生懸命働きながら、今まで経験した事のない
大切な経験をたくさん積む
34歳の時、ソロで音楽活動再開
順調と言えば順調
35歳の時、二死満塁活動再開
順調と言えば順調
42歳厄年の時、全てが嫌になる
コロナ禍で世界中がひどい状況になり
自分も大変な生活を強いられる
42歳の暮れに横浜に帰ってくる
44歳になり、少しづつ精神が安定し、現在に至る
現在の活動
弾き語りでのライブ活動を年間50本ペースで行いながら
自主企画 ウタノホネを月1ペースで主催
怪談を軸にトークイベントなども主催する傍ら、ゲスト出演もする
プロ野球に詳しく年間50試合以上、球場で観戦をした時期が5シーズンくらいある。
その後、年間100試合以上はスカパーでリアルタイム観戦をした時期が3シーズンくらいある。
(広島東洋カープファン)
その頃は、下手な解説者よりも的確に分析する力が身に付き
プロ野球の奥深さ、選手の普段の行動、裏話などをトークする芸が身に付いた。
しかし、最近はYouTubeやSNSで選手本人が赤裸裸に話すので、知識が役に立たない事が多い。
怪談は、もともと特殊な経験をする事が多く飲み会などでは披露していたが
引かれるくらい怖い為、あまり聞きたがらない友人が多かった。
ライブのMCなどで怪談をすると、「怖すぎる」と苦情を受け、音楽のライブでは
封印した。ただし、「怪談をして下さい」と主催者からオファーがあれば現在も行っている。